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メロンをお届けしている施設の子供たちから、お礼のお手紙をいただきました。
施設長の方からは沢山お手紙をいただいているのですが、たまに、こんなふうに子供たちから直筆のお手紙をいただくことがあり、やっぱり、とても嬉しいです。
少し拙い字で書かれた、「メロン美味しかったよ」の文字をみると、「よし、来年もきっと最高のメロンを届けなくては!」と身が引き締まる思いです。
今年、ある施設にメロンをお届けした時のこと。
施設の玄関にメロンを置かせてもらったとき、若い職員の方が「わあ、ほら、メロンだよ~」と言いながら、出てきました。
その時――私は、はっとしました。
その職員の方が、赤ちゃんを抱いていたからです。私の娘と、ほとんど齢もかわらぬような、可愛らしい、ちいさな赤ちゃんでした。
まだ物心もついていない、こんな小さな赤ん坊のうちから、この子は両親と離ればなれで暮らしているのか、と考え、ほんの一瞬、身体が固まりました。
べつに、その子がこれから大人になるまでずっと施設で育つと決まっているわけではなく、ほんの数日預けられているだけ、という可能性もあります。
それに、仮にこれからずっと施設で育つのだとしても、実の親のかわりに施設の職員の方がたっぷり愛情を注いでくれるのだから、その子を不幸だとか、可哀想だとか決めつけるのは、その子自身に対してとても失礼です。
そういうことがすべてわかった上で、それでも、私はとっさに娘のことを思い出し、その場で固まってしまったのです。
私達大人がやらなくてはならないことは、さまざまな事情から施設で暮らすことになった子供たちに同情することではなく、彼らが大人になった時、何のハンデも負うことなく、普通の家庭で育った子供たちと同じように平等にチャンスを与えられ、立派に自己実現し、幸福な人生を歩めるような環境を整えてあげることです。
それは、施設の子供たちに限らず、経済的に貧しい家庭で育つ子供たちに対しても、同じことです。
「そんなことはわかってるけど、自分みたいな人間にできることは何もない」
「それは政治家や役人が解決すべき問題で、自分のやるべき仕事じゃない」
本当に、そうなのか?
「自分はちっぽけなつまらない人間だから」という謙虚さを、都合のよい言い訳に使っていないか。
ちっぽけな人間にも、ちっぽけなことはできるんだ。
施設にメロンを届けることも、ちっぽけなことだ。でも、それで子供たちを笑顔にできるなら、やらないよりはやったもほうがいい。
それに、ちっぽけな人間でも、たくさん集まれば、きっと大きなことができる。
そう信じて、まずはこれからもちっぽけなことを続けていけばいい。